子育て大学

子育て大学 No.1

■はじめに■(2001年10月1日)

わが国における社会的問題(特に、子どもの犯罪や子どもへの犯罪)の増加が、年々深刻になっています。識者達がこぞってその原因を推察しているのですが、予防的視点で語られているものはわずかなようです。本ページでは、こうした社会的問題を予防する視点として、子育て(parenting)の重要性を強調しています。

■子育て大学とは?■(2001年10月1日)

 冒頭で述べた社会的問題の増加に示される風潮もさることながら、数年前から街の中で出会う親子関係、養育者と子どもの相互作用を目の当たりにするにつけ、「おかしいなあ」と思うことがしばしばありました。核家族化によって、祖父母の時代からの子育てが伝承されないというのもあるでしょう。でも、孫に対する祖父母の子育てを見ても、必ずしも適切でないことも少なくありません。養育者に対する子育て教育の必要性を痛感していました。何らかの形で、養育者に子育てを教育し支援するシステムを構築していかなければなならいとずっと考えていたのです。そこで、子育て大学を作ろうと思ったわけです。

■子育てとは?■(2001年10月15日)

 子育てに関するアメリカ合衆国の文献を読んでみると、”parenting” という用語が子育てという意味で使われていました。辞書的には、”child rearing” ないし”child care” の方が子育てという用語に相当するものとして一般的なようです。私が、”parenting” という用語を気に入ったのは、「親らしいことをすること」という意味に読み取れたからです。そこには、「親らしく何かやること」「親として果たさなければならないこと」という意味が含まれているように思われます。親(parent)になる条件として、やらなければならないこと(parenting)があるといえます。
  一方、日本では”parent” という用語をほとんど名詞として使うよう教育されてきました。ですから、「親である」という意味が日本では強すぎるように感じます。これでは、肉親、義理の親、厳格な親、友達のような親、年齢の離れた親といったように、親子間の関係性を定義するにとどまります。
  子育てを支援していくためには、”parenting” という意味に注目して「親らしく何かやること」「親として果たさなければならないこと」をはっきりとしていかなくてはなりません。動詞として”parent” をとらえ直すことからスタートしましょう。

■具体的な事例から■(2001年11月18日)

上に、親として果たさなくてはならないことがあると述べましたが、その内容については後々に見えてくればよいと思います。まず、具体的なエピソードや事例から考えていただきたいと思います。

■「つもり」や「はず」は危険な思い込み■(2001年11月18日)

 養育者や指導者が、「子どもに十分、言い聞かせた(つもり)」「十分ほめてやっている(つもり)」「厳しくしつけてきた(はず)」「理解させておいた(はず)」「工夫して指導している(つもり)」などと言われるのを聞くことがあります。これらが断定的に言われたとしても、意味がありません。そもそも、こうした言い方がなされること自体、物事が首尾よくいってないわけです。つまり、結果が重要なのであり問題なわけですから、その問題を解決するための手段を考えていきましょう。
  本当に最近よく見かける光景なのですが、周囲に迷惑をかけている我が子に対して、親が「だめよ、そんなことしちゃ」などと言ってるけれども、子どもはケラケラと笑っている。その子どもの不適切な行動は一向に減らない。でも、この親はきちんとしつけていると思い込んでいるんです。重要なことは、この不適切な行動が減少し、それに代わる適切な行動が増えたかどうかです。同様に、「ほめているから大丈夫」「きちんと厳しく叱っているから大丈夫」というのも、思い込みになりがちなので気をつけましょう。

■「つもり」や「はず」にならない注目すべきポイント■(2001年11月18日)

では、どのようにすれば思い込みにならずにすむでしょうか。そのためには、以下のような視点が役に立つと思います。

  1)ある特定の場面で
  2)子どもの特定の行動に対して
  3)養育者や指導者が何らかのはたらきかけをした際
  4)その瞬間あるいは近い将来、子どもにどのような変化が生じたかを査定する

  具体例を挙げてみると次のようになります。1)電車の中で、2)大声を出して走ったり座席で飛び跳ねたりする行動に対して、3)母親が「だめよ、そんなことしちゃ」と、はたらきかけた際、4)その瞬間はケラケラと笑っていて、1週間後も同じ行動を繰り返している、となります。
  ここの3)の部分だけしか考えなければ、思い込みになってしまう危険性があります。3)と4)の関係というのは相互作用の視点であり、ここをよく見てみることが問題解決のための第一歩となるでしょう。

■病院の待合室でのこと■(2001年11月28日)

つい最近、病院の待合室でのことでした。私の隣には6歳ぐらいの子ども連れの母親が座っていました。その子どもが、長いすの後ろから背もたれを乗り越えて母親の背中にひっついたり離れたりを繰り返しました。背もたれをまたぐ際、左隣の私や右隣のおばあさんに子どもの足が当たりました(それほど迷惑なわけでもないのですが)。それに気づいた母親は、「しずかにしなさい、やめなさい」と何度も注意していました。でも、子どもはなかなか言うことを聞きません。しばらくして、母親がとった手段は別の長いすに移動し、私やおばあさんの近くから離れることでした。すると、子どもはすぐに追いかけて母親の膝の上に飛び乗りました。母親は満足そうな顔をしながら「バタバタしちゃ、ダメダメダメ~」と子どもの背中をさすってあげました。子どもはキャッキャと楽しそうでした。
  母親にとっては、とりあえず両隣の他人に迷惑をかけないように場所移動して一安心という感じなんでしょう。つまり、母親にとっては今現在の問題を解決することに成功したといえます。
  一方、子どもにとっては形振り構わず母親に近づけば、母親が相手してくれるという関係を学習したでしょう。したがって、これから先のことを考えると、この子どもは母親に構ってもらいたいときに形振り構わず(たとえ他人に迷惑をかけようとも)、いろんなことをする可能性が高まったといえます。
  この身近なエピソードから、母親にとって「子どものことで母親自身が非難される可能性」を解決することと、子ども自身が将来「社会から非難される可能性」を解決することは、まったく別モノであることを押さえておかないといけないでしょう。

■褒めない養育者・指導者■(2001年12月28日)

ただ単に子どもを褒めればいいというわけではないのですが、世間一般の子どもや自分が子どもだったときと比べてしまう人は、なかなか子どもを褒めない傾向があるように思います。ことばの遅れのある4歳の男の子がはじめて音声模倣できたとき、「ほかの4歳児ならもう喋っているよ」などと考えてしまって、この芽生えを認めてあげなければことばの遅れを取り戻すチャンスを失います。2か月間まったく学校に行けなくなっていた15歳の中学生が、放課後の行事に参加できたとき、「授業に出て欲しいのに」などと考えてしまって、この変化を認めてあげなければ再登校のチャンスを失います。
  世間一般の常識や思い込みによるモノサシで子どもを見るだけでなく、子ども自身の発達的(細かい個々の行動上の)変化や、1歩踏み出す努力を認めてあげましょう。

子育て大学 No.2

■子どもをあやす■(2002年1月13日)

年末年始の新幹線は子連れの客が多いものです。この間、出張に行くときに乗った新幹線でのエピソードを紹介します。1歳くらいの幼児が泣き始めました。この「泣き」は癇癪ではない生理的な「泣き」であると思われました。母親があやしてもなかなか泣きやみませんでした。すると、父親がこの子を抱っこしてデッキに移動しました(まずは父親の社会性に拍手)。それから5分ほどして父親はスヤスヤと子どもを寝かせて帰ってきたのです。なかなか良い父親ですね。私も年の離れた妹の世話をしていたとき、よく「子どもをあやすのが巧い」と言われたものです。この「子どもをあやすのが巧い」ということを具体的に考えると、「子どもをすぐに笑わせることができる」「子どもをすぐに泣きやますことができる」ということを含んでいるといえるでしょう。次回、より具体的なコツをお話しします。

■焦らすわけではありませんが、その前に…■(2002年2月17日)

前回、「子どもをすぐに笑わせること」「子どもをすぐに泣きやますこと」と書きましたが、「子どもを泣きやます」ための手っ取り早い方法は「笑わせること」なのです。いかに笑わせられるかという方法について考えてみる必要があるわけです。人間は同時に複数の生理的状態をもてないものです。たとえば、緊張と弛緩(リラックスした状態)は同居できない生理的状態の組み合わせの一つだといえます。強烈な痛みによって引き起こされている「泣き」の場合はそう簡単にはいきませんが、多少の「泣き」ならば思いっきり笑わせることで泣きやみます。このアイディアに対して、「やってみたけど泣きやまない」とか「非現実的」という批判があるかもしれません。ですが、そんなことはありません。それは「笑わせ足りていない」だけなのです。泣いている子どもを上手に泣きやましたことのある人なら、子どもが今まで泣いていた名残(なごり)をとどめながらも、たとえばまだヒックヒックしていたり、まだ両頬を涙がつたっていたりしながらでも、ケタケタ笑っているうちにご機嫌になっていくことを経験しているはずです。次回こそ、具体的に笑わせる方法についてお話しします。

■くすぐってみよう■(2002年3月16日)

さて、「くすぐったさ」という状態は、皮膚感覚上のくすぐり刺激だけで生じるものなのでしょうか。答えは否です。最初はそうかもしれませんが、くすぐるほうとくすぐられるほうとの関係によって変わってきます。くすぐり遊びを何度も経験したことのある子どもなら、お母さんがくすぐろうとしただけで、くすぐったそうに笑うようになります。まだ子どもをくすぐってないのに、子どもは「くすぐったさ」を感じているわけです。子どもの泣きをあやすために、普段からこの関係を十分に作っておきましょう。そのとき、ただくすぐるだけでなく、儀式的な手続きを入れておくのがポイントです。儀式的な手続きとは、たとえばくすぐり手遊びのときの声かけだったり、オリジナルなものだったりしてもよいのです。とにかくすぐに子どもをくすぐるのではなく、「これからくすぐるぞ~」ということが伝わるようにすることが肝心です。実際にくすぐるときには、いきなり脇や首筋を触るのではありません。子どもにまず両腕を伸ばさせ、手の甲あたりからじらしながら少しずつくすぐりポイントへ近づけていって、一気にくすぐりましょう。もし、子どもが強く拒絶するならば、くすぐり方(強さ、スピード)や、くすぐりポイント(脇、首筋、脇腹など)を変えたり、導入のときの儀式的な手続きを変更したりしていく必要があります。子どもの様子をみながら、実践してみましょう。

■くすぐりを始める手がかりとなる声かけ■(2002年4月10日)

前回、子どもを単にくすぐるだけでなく、儀式的な手続きを使って「これからくすぐりが始まる」ということを、子どもに分からせるような手がかりとなる声かけをすることが重要だということを述べました。この儀式的な手続きには、むかしから色々な種類のものがありますね。また、その地方地方によって独特のものもあるようです。いわば伝承遊びともいえるかもしれません。たとえば、「やーおーやーのつーねこさんが…」という遊びは、子どもの手を握って腕を伸ばさせるところから始めます。「階段のぼって…」のときに、子どもの手の甲から肩のほうへ向けてじらしながら2本の指でテクテク歩いていきます。「コチョコチョ…」で目一杯、子どもの脇をくすぐります。この手続きを繰り返すだけで、「やーおーやーの」を始めようとしただけで子どもはゾクゾク。階段のぼるときなんて、ゾクゾク感のクレッシェンド状態。他にも、いろんな種類がありますし、エッセンスが同じであれば自由に創作しても構いません。あとは、こうしたくすぐり遊びのレパートリーがたくさんあるほうが好ましいので、いろいろ試してみてください。

■声かけの効果■(2002年4月20日)

さあ、子どもが転んだりしたことをきっかけに泣き始めました。泣きやましたい、どうしよう。これまでに言ってきましたように、普段から関係づくりをしておいた「くすぐり」を試してみましょう。子どもの泣きやむ気配が感じられるまでは、のべつまくなし笑わせてみましょう。このとき、くすぐりを始める手がかりとなっている声かけも連発しながらくすぐります。子どもが笑い出すまで色んなバリエーションのくすぐり遊びを試すのです。ここで気をつけてほしいのは、子どもが調子良く笑い始めると「ほ~ら、いい子ね、もう泣かないでね」などと言わないこと。転んだことや泣いていたことを思い出させる声かけは逆効果になることがあるのです。子どもが笑い出したら、「あ~、おもしろいね~、くすぐったいね~、もういっぺんいくぞ~」という声かけのほうが望ましいのです。この手続きさえ上手くできれば、子どもは涙の跡を残しながらも、ときどき「ヒック、ヒック」と泣きしゃっくりをしながらも、元のご機嫌さん状態になって遊び出すでしょう。

■発達障害をもつ子どもへの応用■(2002年5月14日)

これまで、大人と子どもとの間に、くすぐり遊びの関係を形成しておくことの重要性を述べてきました。さて、これから自閉性障害(自閉症)と診断される発達障害をもつ子どもへの適用方法について述べたいと思います。自閉症の子どもは、発語の有無にかかわらず、対人関係においてその症状が顕著にあらわれます。簡単に言えば、他者とのかかわりを上手く持つことができない子どもたちです。要求場面以外では、なかなか子どもの方から他者にかかわりを求めてくることがありません。そこで、くすぐり遊びです。普通にくすぐり遊びをやれば、健常児では喜々として盛り上がるのに、自閉症児では手を引っ込めたり体を硬直させたり拒否してしまいます。養育者や教師からすれば、「せっかくかかわろうとしたのに…」と失望し、「そんなに嫌がるのなら何も無理させなくても…」と考えてしまうかもしれません。子どもがすでに大きくなってしまっているのなら、こういう考えも分かります。でも、幼児期や児童期においては「慣れ」によって十分に乗り越えられるものでもあるのです。たとえば、小さいときにタートルネックのセーターは首がチクチクして嫌だったのに、青年期にはむしろ好んで着るようになることなんてよくあることです。私は自閉症の子どもにも「慣れ」を経験させることは十分可能だという手応えを得ています。大人のイメージで「嫌なことに慣れさせる」と考えると違和感があるかもしれませんが、私のイメージはちょっと違います。「最初はすごく嫌だったかもしれないが、慣れを通していつの間にかまあそれほど嫌でもないかな程度」になる可能性を探るのです。次回、具体的な方法について述べたいと思います。

■子どもから手を伸ばすようにするためのテクニック■(2002年6月17日)

自閉症の子どもによくみられる触覚的な過敏反応は、個人差はあれども軽減できるという実感を私はもっています。たとえば、大人から子どもの手を掴んだりするととても嫌がる子どもがいるとします。ここで具体的な目標となるのは、子どもが自ら大人に手を差し出すこととなるのですが、ここにもちょっとしたテクニックがあるのです。最初は、自分から手を出してこないので大人がほんの少しだけ軽く子どもの手を握るしかありません。重要なのはここからです。大人が子どもの好きな物を管理しておき、一つずつ渡していくようにします。子どもは当然、その好きな物が欲しいので手を伸ばしてきます。そこで、大人から少しだけ子どもの手を握るようにして握手の形をとります。握手した直後、子どもにその好きな物を一つ渡します。これを繰り返していく中で、子どもが自ら手を差し出してこれるよう、大人から子どもの手を握るのをやめて、子どもの手の近くに大人の手を開くだけで待ちます。子どもが自分から手を差し出すようになれば、大人の差し出す手を少しずつ遠くしていきます。最後には、子どもから自発的に大人に握手を求めるようになります。この過程で、握手する時間を少しずつ延ばしたり、くすぐりを入れたりして、どんどん発展させていくのです。握手した手をそのままブラブラ、反対の手を出させてブラブラ。触覚過敏をもつ子どもがこの目標をクリアしておけば、後々になってかなり役立ってくるように思います。

子育て大学 No.3

■視線が合いにくい子どもへの応用■(2002年7月8日)

今回は、なかなか目が合わない子どもに対して、これまでに紹介してきたくすぐり遊びを役立てる方法を紹介します。発達障害をもつ子どもの場合、幼児期に視線が合いにくかったと養育者から報告を聞くことがあります。視線を合わせることも行動ですから、それならばこれはそれほど難しい問題ではありません。まずは、これまでに述べてきたように、子どもにとってくすぐり遊びが楽しいやりとりでなければなりません。具体的には、前回紹介した程度、つまり子どもからくすぐり握手を求めて手を伸ばしてくるようにしておく必要があります。今までは、子どもから手を伸ばしてきたらすぐにくすぐりを与えていました。視線を合わせるためには、今までくすぐりを与えていたポイントでくすぐりを与えずに完全に動きを止めるのです。たとえば、今までなら「階段のぼって、コチョコチョコチョ…」とやっていたのを、「階段のぼって」で一時停止するわけです。この一時停止状態で、子どもが大人の顔や目を見るまで数秒から数十秒ほど待ちます。この一時停止中、子どもが大人の顔を見たり目が合ったりしたら、0.5秒から1.0秒以内に一時停止を解除して即座に「コチョコチョコチョ…」とやるのです。これを上手く繰り返しましょう。念のため、繰り返しておきますがこの手続きが奏功するためには、子どもにとってすでにくすぐり遊びが楽しいやりとりになっていることが前提になります。楽しい雰囲気でアイコンタクトが成立するよう心がけてください。

■飛行機の中でのこと■(2002年7月26日)

この間、飛行機に乗っているとき、隣の若いお母さんが1歳ぐらいの子どもを寝かせられなくて困っている場面に出くわしました。子どもの様子は、空腹やおしめの濡れで泣いている感じではなく、眠気からむずがっている感じでした。お母さんは子どもを抱っこした状態で子守歌を歌いつつ上下に揺らしながら背中をトントン、トントン叩いてあやし続けていました。ところが、子どもがそろそろ眠りに落ちそうな感じになると、またむずがって泣き出します。このまま約1時間、とうとう目的地に到着するまで子どもを寝かしつけることができませんでした。お母さんも努力してはいるのですが、なかなか報われないようでやつれ果てている様子ですし、周囲にいる乗客にもその辛さが響いています。こうした課題についても、子どもを寝かしつけるための工夫があるのではないかと思います。具体的なことは次回に。

■眠らせ上手-基礎編-■(2002年7月31日)

幼い子どもを寝かしつけるのには根気が必要です。子どもがなかなか寝ついてくれなければ、養育者のストレスも高くなるでしょう。大人も子どもも入眠するためには、それぞれに合った状況づくりが重要となります。入眠できる(しやすい)状況ですね。衣服やおしめの状態、室温や湿度なども入眠しやすい状況とそうでない状況があります。
 さて、幼い子どもの場合、最も子どもが安心するウトウトしやすい姿勢で抱っこしてやることが大事です。キャッキャと興奮してしまう姿勢では困難です。中にはオンブされているほうが安心できる子どももいるでしょう。その状態で、子どもの背中をやさしくトントンしたり撫でてやったりします。ここで重要なのは、トントンのリズムや撫でるスピードを子どもの状態に合わせて徐々にゆっくりすることです。子どもの状態に合わせる秘訣は、子どもの呼吸を手がかりにすればよいかもしれません。とにかく子どもに合わせるのが重要で、養育者の好き勝手なリズムで「ヨシヨシ、はいはい。トントントン・・・」としないことです。子どもの「スヤスヤ度」に合わせたタッチが有効です。次回は応用編を。

■眠らせ上手-応用編-■(2002年8月9日)

さて、ぐずる子どもの寝かせ方の基本は、上に述べました。上に述べたことを出来る限り配慮した上で、さらにひと工夫こらしてみる必要があるときには次のことを試してみてください。わたしはこれを「やわらかタオル法」と名付けているのですが、子どもを抱っこする前に、養育者と子どもが接する部分にバスタオルぐらいのサイズで子どもが好む材質のタオルを敷きます(たいていの子どもは柔らかい材質のものを好みます)。抱っこの場合は養育者の太股あたりから胸のあたりに、オンブの場合は背中に1枚という感じです。養育者はこのタオルをはさんで抱っこやオンブをすることになります。子どもにとっては、これまで同様、気持ち良い安心できる状態で養育者に抱っこされていることになるのですが、そこに「やわらかタオル」があるだけで、次第にタオル自体が安心感を与える養育者代わりになっていくのです。子どもがウトウトしたら、そっとタオルにくるんだまま寝かせると良いでしょう。幼い子どものぐずりに悩む方は、この「やわらかタオル法」を試してみてください。

■夜泣きの意味■(2002年9月18日)

赤ちゃんの夜泣きは養育者のストレスの原因になりやすいです。若い養育者にとっては、この夜泣きがいつまで続くのか不安を感じてしまう方がたくさんおられます。また、密集した住宅で生活しておられる家庭では、必要以上に隣近所に気を遣ってしまってさらにストレスが高まるかもしれません。本当に夜泣きは養育者にとって困った問題です。でも、ちょっと待ってください。この泣くことは赤ちゃんにとって、とても重要な活動なのです。話し言葉がまだない赤ちゃんにとって、泣くことが自分の要求を伝えるコミュニケーション手段となっているのです。赤ちゃんがもう少し大きくなるまで、養育者にとっては辛い時期かもしれませんが、成長するにしたがって泣き以外の要求伝達方法を子どもは学んでいきます。夜泣きが盛んな赤ちゃん時代を通して、子どもは人間との基本的なコミュニケーションを学んでいきます。そして「愛着」が形成されていくのです。

■夜泣きの意味2■(2002年10月20日)

育児ストレスが高くなったお母さんが「うちの子、まるでわざと嫌がらせようとして泣いているみたいな気がしちゃうのですが」と相談してくることがあります。夜泣きが頻繁だとそういう感じがしてしまうのも仕方がないことかもしれません。でも、子どもが「わざと」をやるようになるのはもう少し大きくなってからの話です。泣いている赤ちゃんの気持ちを、次のように感じてみてはどうでしょうか。「ぼく(わたし)の大好きな人、おっぱいちょうだいよー」「ぼく(わたし)の大好きな人、おしめ変えてよー」「ぼく(わたし)の大好きな人、だっこしてよしよししてよー」などです。これらの要求をかなえてあげて泣きがおさまったなら、赤ちゃんが「ぼく(わたし)の大好きな人、ありがとう。いっぱい大好きだよ」と言ってるように感じてください。もちろん、泣いて訴えるしかできない赤ちゃんからすれば、泣くことで要求がかなうわけですから、泣いて要求することが増えるでしょう。でも、養育者としてはまず赤ちゃんの訴えを上のように理解してやることが大切です。

子育て大学 No.4

■赤ちゃんの泣きをめぐって■(2002年11月12日)

さて、赤ちゃんの泣きの意味についてはこれまでに述べてきました。今回は、もう少し赤ちゃんの泣きについて深く考えてみたいと思います。赤ちゃんにとって泣くことが要求伝達手段となっているといいました。養育者は泣いている赤ちゃんの不快を取り除き、快の状態を与えてやります。赤ちゃんからすれば、この泣くことは自分にとって得となるので、また同じような状況で泣くようになります。
 養育者にとっては、赤ちゃんがニコニコご機嫌な時はそのままでいいのですが、泣いている時にはなんとか泣きやまそうとするものです。赤ちゃんが空腹の時や、おしめが濡れている時など、それぞれの状況に応じて赤ちゃんに快の状態を与えようとします。快の状態が与えられた赤ちゃんは泣きやみます。赤ちゃんが泣きやむことは、養育者にとって快の状態になります。だから、赤ちゃんが泣いた時、養育者の赤ちゃんを泣きやまそうとあれやこれやして要求を満たしてやる行動が維持するわけです。結局、赤ちゃんの泣きは養育者の要求を満たしてやる対応によって増加し、養育者の要求を満たしてやる行動は赤ちゃんの泣きがおさまることによって増加するわけです。簡単にいえば、こういう何気ないやりとりによって赤ちゃんの泣きは強くなり、養育者の対応の必要性もそれだけ増えてしまうわけです。このような、養育者-子どもの相互作用が、いわゆる「手がかかる」状態の原因なのです。(つづく)

■まずは赤ちゃんの状態をみましょう■(2002年12月3日)

そこで、難しい問題となるのは、赤ちゃんの要求伝達コミュニケーションをしっかりしたものにしたいという思いと、できるだけ手がかからないほうがありがたいという思いを両立させることです。まず、赤ちゃんの状態をみてみる必要があります。分かりやすく考えてみましょう。「手がかからない」と思う赤ちゃんと、「かんのむしが強い(手がかかる)」と思う赤ちゃんがいるとします。手がかからない赤ちゃんの場合、あまり泣いて要求をしないかもしれませんが、泣きの要求が出たときはその少ない機会を逃さずに要求に応じてやりましょう。要求のコミュニケーションをどんどん引き出していくことが目標となります。

■かんのむしが強い子の場合■(2002年12月31日)

ちょっと難しいのは、「かんのむしが強い」赤ちゃんです。つまり、どちらかといえば泣きが多い赤ちゃんです。いくら泣いても要求が満たされなければ、つまり泣いても無視するという対応をしていけば、かんのむしは次第に気にならない程度におさまります。しかし、こうした対応はあまり現実的ではありません。泣きを完全に無視するわけにはいきませんので、赤ちゃんの泣きに応じてやるタイミングを、少し遅らせてみるのがよいでしょう。泣きのレベルがちょっと弱くなったあたりで、かまってやるのです。数十秒ほど様子をみてみると、確かに泣きのレベルの弱いポイントがあります。またしばらくすると泣きのレベルが強くなりますが、それもまた時間が経つと弱くなります。養育者は、赤ちゃんが強く泣いたときに応じてやりがちになりますが、そこをちょっと待つのです。レッドゾーンに振り切っているときには応じず、少しおさまった状態のときに応じるように心がけましょう。

■赤ちゃんに限らずみんな同じです■(2003年2月3日)

「かんのむしが強い」赤ちゃんへの対応の仕方は、赤ちゃんに限らず大切な考え方です。次のような例を考えてみてください。かんしゃくがエスカレートしていくようなエピソードです。小学3年の男の子が不機嫌そうに「勉強、おもしろくないよ」と言ったので、「がんばって」と励ました。この子がさらにイライラして「くそー、もうイヤだよ」と言ったので、「あとでおやつあげるから」と励ました。ところが、とうとうこの子が机を思いっきり叩いて「もうおれはキレた!! もうダメだ!!」と大声を上げた。母親は少し気の毒に思って、「じゃあ、途中だけど休憩していいよ」と言って許してあげた。その後、この男の子はイライラするたびに大声を上げてかんしゃくをエスカレートさせることが増えてしまいました。
 最近、こういう対応が家庭や学校で増えているように思います。でも、これでその場の要求がかなったとしても、長い目でみると本人にとっても家族にとっても不利益になってしまいます。「欲しい」と思ったらすぐに手に入ることが幸せだと単純に考えるのはやめましょう。「欲しい」と思ったけどしばらくがまんしてようやく手に入った喜びを感じられるように育てたいものです。(つづく)

■赤ちゃんに限らずみんな同じです(その2)■(2003年3月14日)

前回、「欲しい」と思ったけどちょっとの間、がまんできるように育てることが大事だと述べました。そうでないと、欲しいけれどもどうしても手に入らないとき、対処の方法を知らない人間になってしまいます。たとえば、どんなにお金を持っていても自分の好きになった人が振り向いてくれない。モノはお金で買えたとしても、人間の気持ちはモノと同じようには買えないでしょう(最近は人間の気持ちまで売買されてしまう嘆かわしい時代ですが)。でもどうしてもお金なんかでは振り向いてくれない人のことを好きになっちゃったとしましょう。こんなとき、これまで何でも手に入れることができていた人は、初めて「手に入らない」ということを経験します。それまで「手に入らない(うまくいかない)」ことを経験してこなかった人は、たいてい爆発してしまいます。ストーカー行為や攻撃的行動などです。自分のモノのように追いかけ回したり、自分のモノのようにするために殺してしまったりという結果につながるケースが増えてしまったのはどうしてでしょう。(つづく)

■赤ちゃんに限らずみんな同じです(その3)■(2003年7月3日)

どうしても「うまくいかない」「自分のモノにならない」ことを、適度に経験してきた人は、どうすればうまくいくかという対処方法のレパートリーが豊富です。対人関係であれば、お金なんかより誠意を尽くそう。誠意を尽くしてもダメならもっと別の誠意を尽くそう。それでもダメならそんな女(男)はさっさと忘れちまえと。これが生き生きとしていて、しかも柔軟な考え方・やり方でしょう。なぜなら、すぐにキレてストーカーになるわけでもなく、誠意を尽くす努力をしないわけでもないからです。今、こういうバランスのとれた人間が減っているような気がします。
 だからこそ、次のことが大切です。子どもが小さいうちから、適度に「うまくいかない」ことの経験と、そんなときにどうすればよいかという対処法を身に付けさせましょう。子どもが「うまくいかない」ことに出くわしたとき、養育者は「かわいそう」と思うのではなく、絶好のしつけの機会だと考えるようにしましょう。