奥田研究室 / Kenji Okuda's Lab
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コラム


森造じいさん

管理人の祖父(故人)の厳しいお言葉
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森造じいさんの言の葉 No.3

 

■受け身を取らせることが肝要じゃ■(2002年10月16日)
 最近の親はのう、我が子に失敗させんようにばかり気を遣っておるようじゃ。子どもがつまずかんように、親が子どもの目の前の石をのけてやっとる。いろいろと子どものうちから転んでおくこと(失敗や挫折をしておくこと)がどんなに大切なことか分かっとらん。転んでしもうた時に、ダメージの少ない受け身の取り方を習得しておいたほうがええじゃろ。転んでも自分で立ち上がる練習をしておくほうがええじゃろう。受け身の取り方を知らぬまま大きくなってから転んだらどうなる? 体が大きい分だけ、ダメージが大きくなってしまう。親がどれだけ配慮して家の中で転ばないようにしてやっても、社会に出たときに一度も転ばずに済むか? 子どもが小さいうちに少し痛い目をしておくのと、大きくなってから転んで簡単に立ち直れない程に痛い目に遭うのと、どっちがええのかよう考えてみい。

■覚醒せい!!■(2002年10月22日)
 我が国に対して長距離ミサイルによる威嚇を繰り返し、工作船による度重なる領海侵犯、邦人の拉致を繰り返してきた近くて危険で身勝手な国、北朝鮮。経済的援助を求めて拉致に関する加害を認め、断片的ではあるが被害者についての情報を提供し始めた。何と酷い仕打ちか。何よりも情けないのは日本国民が今まで何も出来なんだことじゃ。そして、何も考えてこなんだことじゃ。まるで他人事よとばかりの無関心。自分の家族が同じ仕打ちに遭ったらと想像できなかったのか。自分の愛する者が拉致されたらどうか。自分には愛する者を取り戻せる力があるのか。たった一人の邦人でさえ守る意志や力が我が国にあるのか。工作員活動を行わせないほどの防衛力、情報網があるのか。まったくもって我が国は、海外からの脅威が押し寄せるまで何も出来ぬお目出たい島国民族の集まりじゃ。安定の時代ならええが今の時代はそうではなかろう。わしは嘆かわしいわい。

■森造じいさんへの質問■(2002年11月18日)
Q:この前、私の職場で「心から部下のことを褒めて育てなさい」と言われました。確かに自分でも自然に褒めることができていないと思います。うわべだけになっているというか・・・。「自然に褒めないと」って思えば思うほどなんか自分が空回りしているような気もします。森造じいさんもこんな経験ありますか? (会社員。女性)

A:褒めようなどと考えとるから上手くいかんのんじゃ。人との付き合いはマニュアル通りにはいかんぞ。それに、お主が褒めたとしても相手が喜ぶとは限らんじゃろう。褒められて喜ぶやつもおれば、褒められても嬉しくないやつもおる。相手の立場に立って考えたり感じたりすることを絶え間なく続けることじゃ。そのために想像力の逞しさが不可欠。要は「褒め方」より「感じ方」が大切ということ。これを肝に銘じておけ。


■職人の国■(2002年12月14日)
 今年、2名の日本人がノーベル賞を受賞した。その内の一人、田中耕一氏は学者ではなく民間企業のエンジニアじゃった。地位や名誉ではなく、技術が評価されたのじゃ。耕一氏はのう、生後すぐに母親を亡くし、養子として親戚の家で育てられたという。耕一氏本人の人柄もさることながら、うらみつらみや被害者意識を生み出させなかった親戚一家もまた素晴らしい。耕一氏が育った家は、父親が大工道具の修理職人じゃった。きっと父親の仕事に打ち込む姿を何度も見ていたはずじゃろう。耕一氏も試行錯誤を重ねる一職人じゃったといえる。
 今回の氏に限らず、我が国には数多くの職人がおる。ところが、これらの職人が見出した技術が他国の者の手柄にされておるケースも数多くあるのじゃ。本物の職人っちゅうもんはのう、地位や名誉よりも目の前にある問題を最も効率よく解決することに心血を注ぐもんなのじゃ。日本人には真の職人魂があるんじゃろうの。戦後に押しつけられた価値観から目を覚まし、日本古来の風土に守られた気質を取り戻さねばいかん。何度も、こつこつと、試行錯誤を繰り返す。耕一氏が本来の日本人の姿なのである。

■赤穂義士討入りから三百年■(2002年12月17日)
 赤穂浪士が浅野内匠頭の仇討のために吉良邸に討入りを決行して丁度、今年で三百年じゃな。この三百年の間に、同じ日本の血を引く現代日本人が無くしてしもうたものは何か? 武士としての「義」や「忠」、親の「愛」、子の「孝行」、夫婦の間の「信頼関係」、浪士を陰から支えた町人の「心意気」など。四十七名の浪士の中には16歳の子どもから70を過ぎた老人もおったわけじゃから、現代日本人も子どもから老人までがさらに親しむべき教材にすべきじゃと考えておる。じゃが、戦後の流れの中で「自分の命を大切にすること」の教え方に間違いがあったとわしは思う。「自分の命を大切にすること」とは、自分がこれまで生きてこれたことを深く感謝することに始まる。現代日本人の多くが不平不満ばかりをぬかしおって、「感謝」の念を持つことを忘れてしもうとる。その感謝の向き先を身近なところから大きなところまで向けるのじゃ。「自分はこうして生きている。なぜならそれは、〜からだ」ということを、子どもも老人も考え続けることが必要じゃ。たったこれだけのことでも難しい事じゃろうの。

■森造じいさんへの質問■(2003年1月9日)
Q:東京本社の男性社員が転勤してきて1ヶ月が過ぎました。彼は、「そうだね」を決して言いません。絶対反対の事をいいます。だから、反対をわざといったりして思う通りにことを進めています。でも、そのストレスたるや・・・。もうどうつきあっていいやら。森造じいさんにお言葉をいただきたいです。(会社員。女性)

A:そういう輩がおるのは仕方のないことなのじゃ。お主は「思う通りにことを進めている」とぬかしておるが、それは間違っとるぞ。そんなことを繰り返しておっても何にもならんぞい。どうせストレスを感じておるんなら、思い切ってそやつの言うとおりにやらせてみて、そやつ自身が損をするようにすればいいんじゃい。お主や周りのもんがどこかで無意識にフォローしてきたさかい、いつまで経っても変わらんのじゃ。







 



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